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伝説の授業?

    これは本当にあった話かどうか、まったく真偽が確認できていないのですが。
    ある男子の中高一貫校。
    新中1の英語の第1回目の授業で、タイム紙の切抜きが配られました。
    「さて、諸君、君たちが中学受験の歴史で学んできたとおり、英語を日本人が学ぶということは大変なことなのだ。辞書すらない中で、英語の文章を読むということは、どういうことなのか。明日までにこの内容を全部日本語にしてくること。ただし、辞書は使ってはいけないし、お父さんやお母さんにもたずねてもいけない。」
    生徒は困惑します。というか、そりゃあ、無茶な話でしょう。ところが、この先生、おもしろい。ひとつ、免罪符をつけた。
    「ただし、日本語にできない場合、どうやったらこれを日本語にできるか、何があればいいのか、レポートにするならば、それでもよい。」
    ということで、その授業は10分足らずで終わりました。
    「はあ、」
    今の時代ならば、保護者から猛烈なクレームが入っているかもしれないが、まあ、それはおいといて。
    次の時間、ほとんどの子が免罪符のレポートを選びました。そして、多くの子どもたちが書いたのは、英語と日本語の辞書があれば何とかなるはずだ」という結論。まあ、そうでしょう。それ以外にもユニークなものとしては、外人をつれてきて、日本語の生活習慣の中で鍛えて、そいつに訳させる、とか、まあ、いろいろはあったようですが。
    そこで、先生、にやりと笑う。
    「よーし、わかった。諸君の結論は、辞書があれば、日本語にできるということだな。では、辞書を使って、次の時間までに日本語にしてこい。今回は免罪符はない。」
    この授業も10分足らずで終わりです。
    子どもたちは次の時間までに、辞書を引き引き、日本語にしていく。多分、こういう意味だろうとか、まあ、そんな感じでしょうけど。
    でもねえ、やるなあと思いませんか?たった2時間の授業で多分、この子たちはきっと英和辞書の使い方をマスターしてしまうのですよ。
    先日お話したトップ校の授業というのは、こういうことなのです。まあ、これがホントかどうか、確かめようがないのですが。
    え?私ですか?いえ、こんな授業受けたことありません。受けていたら、もう少し、英語はできたかもとは思いますが。

トップ一貫校の教育内容

    現状、東大、慶應、早稲田という有名大学の現役合格者のおよそ6割が、中高一貫生というデータがあります。ところがこの中高一貫生が受けている教育内容は、大きく分けて2種類あるのです。
    ひとつはそれぞれの教員に任せた指導方法。
    シラバスなどまずない。どちらかといえば自由奔放に見えます。
    私が受けた中等教育もそういうものでした。
    ある歴史の教師は中学1年生に大塚久雄先生の「共同体の基礎理論」をやらせる。ある生物の教師は1年かけてDNAを追いかける。ある国語の教員は1学期をかけて敬語ばかりを扱う、という具合です。
    なぜ、そうなのか?
    つまり、学問というのはそういうものだということを語りたい。ものを学ぶということは、自分で学ぶのだ。だから、あるテーマがあれば、とことん自分で掘り下げていかなければいけない。だから、中1であっても共同体という概念の理解に挑戦すべきだ、とまあ、こういうことになります。
    当然、受け手にある程度の知力が必要だが、それは入学試験で選抜されている。(だからといって、全員ができるわけでもありませんが。)だから、こういうことをやっていい。という話になる。
    こういう学校は御三家をはじめとする上位校に見受けられます。
    かたや、中堅校といわれる大学受験校は、教師に任せるということはしない。シラバス(カリキュラム)を学校で作る。私も何校か、学校のシラバス作りのお手伝いをしたことがありますが、組織として動く。だから、基本的に塾みたいになるのです。中1の2学期までには、これこれの内容を終える、というようなスケジュールが組み込まれる。つまり知力や学力ということよりも、むしろ大学受験をいかに突破するか、ということに重きが置かれます。
    こういう違いをあまり保護者の方が認識されていないかもしれません。
    といって、上位校の内容が、保護者にはまったく評判が良くない。当たり前でしょう。例えば世界史の時間、ローマ史だけで終わってしまう教員に対して、保護者がいい顔をするわけがない。
    「月謝の分教えていただかないと」
    的な非難は当然おこるわけです。
    しかし、トップ校たるもの、まったく動じない。
    「そんな、小手先のような勉強をしたいのなら、予備校や塾へどうぞ」
    と平気で言われる。(まあ、最近そこまでの人物がいるかどうかは、やや心もとない部分がありますが。少なくとも我々のころにはいました。)
    こういう学校の勉強は決してサービスが良くない。例えばテキストを先生が書く。ところが解答はなし。
    だから、生徒が授業を聞いて、しっかりノートをとらない限り、解答は手に入らないのです。
    しかし、こういう環境こそが、知力や学力を育てるのです。
    灘校の橋本先生ではないが、思い切り寄り道をしているようで、生徒が学ぶ力を確実につけている。中等教育から高等教育に向けて、本来はこういう授業を子どもたちに受けてもらいたいと私は思います。
    ただ、こういう教育を受けるためには、難しい入学試験を合格しなければならない。
    ここが一番の問題では、あるのですが。

まどろっこしいなあ

    ある先生が、3年生の個別指導をしていました。
    たまたま、のぞいてみると、有名な塾のテキスト。
    「で、この角とこの角を足すと、直角何個分?」
    直角三角形の内角の和は何度か?ということを勉強しているのですが、こう教えるのかあ、と思ってしまいました。
    角度が1周を360度というのは、決まっていることです。決まっているから、そう教える。
    そして三角形の内角の和が180度というのも、そこから決まっている。
    これをなぜ?と考えるのは、意味がある部分もあるが、まどろっこしいという部分もある。
    悪いくせがでて、途中で交代。
    「だからさ、直角って何度?」
    「え、90度。」
    「三角形の内角の和は180度って決まってるの。知ってる?」
    「ううん?」
    「OK,じゃあ、覚えて。三角形の角って3つあるよね。四角形は4つ。」
    「はい。」
    「3つたすと180度。じゃ、ここが直角。直角って何度?」
    「え、90度でしょう。」
    「そう、じゃこの角と角を足すと?」
    「180ひく90でしょう?うーんと、90度」
    「だよねえ」
    早く始めるか、ある程度わかってきてから始めるか。
    私は、あわてることはないと思っているのです。中学受験が本格化するのは、5年生から。4年生まではむしろ、しっかり計算力をやしなってくれたほうがいいと思いますね。