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第27回 カリキュラムが早い?

■先日ある会合で長年、中学受験や高校受験で教えておられる数学の先生にお目にかかりました。そのとき、たまたま算数のカリキュラムが話題になりました。「ずいぶん、カリキュラムが早くなりましたね。」とその先生が言われます。私も同感です。

■以前に比べると比を習うのが半年位早くなっているし、割合も同様に早いのです。指導要領の方は、どんどん範囲が削られているのに、受験カリキュラムの方は、むしろ忙し過ぎるのではないかと思えるくらいです。

■どうしてこういうことになったのか、事情通の方に聞いてみると、ある塾のカリキュラムが早まって、どんどん追随する塾が増えたのだとか。「早くないと、上位校に合格しないと思われるのがいやで、カリキュラムが早まっているのだそうですよ。」と教えてくれました。

■これはどうも本末転倒な話のように思えるのです。カリキュラムが早くなければ合格しないということはありえません。昔の方が競争は厳しかったし、子どもたちのレベルも高かったのです。むしろ、今の方が問題はやさしくなってように見えます。にもかかわらず、なぜこんなにカリキュラムを早める必要があるのだろうか。確かについていける子はいるでしょうが、多くの子が大変、苦しい思いをするのではないかと心配です。

■特に5年生のカリキュラムが大変です。以前は4年生のカリキュラムと5年前半のカリキュラムがだぶっていて、5年生の前半までは受験勉強をならし運転することができたのですが、今は、最初からトップギアのようなもので、本当に子どもたちの気持ちが続くのか心配になってしまいます。それ以上に、本当は6年生で伸びるかもしれないのに、成績が悪くて、志望校をあきらめてしまうのが早くなってしまう可能性があるなと思います。

■確かに比をマスターすれば、いろいろな特殊算は簡単に解けるかもしれません。ただ、そこにいたるまでに分数や少数の計算がきちんとできるようにならなければいけないし、割合の考え方、速さの考え方もきちんとマスターしなければなりません。それにこの時期は子どもたちの体力や動機付けがまだ十分でないので、あまり苦労するのはよくないと思います。

■ですから、5年生のうちは、あまり成績を気にせず、むしろしっかりとした基礎力を作っていくのがいいでしょう。そして、6年生になり、第一志望もだいたい決まったころから、本当にギアをあげていけばいいのではないでしょうか。お兄ちゃんやお姉ちゃんがいて、受験のペース配分をある程度、お父さん、お母さんがご存知なら杞憂です。でも最初の受験であるならば、ぜひ気をつけてあげてください。

(平成16年10月12日)

第26回 自立する工夫

■近年、少子化が進み、一人っ子、二人兄弟姉妹が8割近くになっているのではないかと思われます。子どもに対する眼は以前にまして行き届いており、その意味で子どもはがまんすることが少なくなりました。その分自分ですることが少なくなり、親に依存する部分が増えています。

■中学受験は、子どもが初めて自分の力で勝負しなければならない場面です。もちろんそれまでの準備過程では、親がいろいろとサポートすることはできます。しかし、試験場に入ったら、自分で問題を解かなければ合格しませんから、ここで自立しているかどうかということが割と重要な要因になります。

■子どもの自立の第一歩は朝、自分で起きることです。お子さんは自分で朝、起きてきますか。それともお母さんが起こしていますか?朝起きるというのは一日のスタートです。自分でそれをコントロールすることができるか、これは自立の第一歩です。ところが意外に自分で起きている子どもは少ないのです。

■以前、母親教室で手をあげていただいたとき、8割近くの方が、お母さんが起こしていると答えられました。一方で、自分で勉強しなさい、と口やかましく注意されている方がほとんどなのです。「だって、先生、あの子は起こさないと、遅刻します。」これは言葉はきびしいが態度が甘い典型です。

■極端なことをいえば、遅刻してもいいから、自分で起きれるようにすることです。目覚まし時計をかければすむことなのです。自分は明日、何時に起きなければならない。そして、何をしなければならないと知っている子とそうでない子では、ものすごい差が生まれてきます。

■親は口でいろいろなことを言うものの、実は子どもが自分でやりきれるような工夫をあまりしていないのではないでしょうか。例えば、今日やる勉強の内容を、子どもが確認する方法はありますか。ずーっとお母さんが家にいて、指示をしてあげるご家庭もあるでしょうが、それよりは例えばスケジュール表を本人が持っていて、それを自分で確認するような工夫はできるのではないでしょうか。

■自立しない、幼いということは簡単ですが、いつまでも面倒をみているわけにもいかないのです。そして親が子離れができないから、子どもの精神年齢の成長が遅れているように私は思います。洗濯物の片付け、部屋の掃除、いろいろと子どもが自分でできることはたくさんあります。勉強があるからと思わずに、自立させる工夫をぜひしてください。

(平成16年9月30日)

第25回 20年前との比較

■今からちょうど20年前。私は初めて6年生の担任になりました。担任した生徒は当時24名。今、32歳になるはずです。この生徒たちをどうやって指導したかを思い出しているうちに、あることに気がつきました。

■実は、指導法というのは、あまり変わっていないのではないかということです。ビジネスとしての塾はいろいろな変遷をたどっています。テスト塾、集合塾、志望校別塾、習熟度別クラス編成、個別指導。しかし、そのやり方は旧態依然としたものなのです。

■つまり、あるカリキュラムの順番で子どもたちを指導しているのです。子どもの性格、得手不得手は関係ない。ある順番で進んでいるのです。算数で例をあげると、小数の計算、分数の計算、そして割合、最後が比。速さがあって、旅人算があって、流水算になって、グラフ。しかし、この順番通りで本当にいいのでしょうか。

■仕事算などは、まず全体の仕事を必ず1とおくから始まります。例えば6人で10日でやる仕事を1とする。すると1人が1日でやる仕事は60分の1です。計算が面倒ですから、先生によっては最初から仕事を60として教えます。しかし途中で問題が複雑になると、また全体の仕事を置き換えなければならなくなって、やはり1にした方がいいと主張する先生もいます。

■そこが先生主体であることに実は問題があるのではないかと、私は思うのです。子どもによって指導する方法が違っていいし、進み方が違っていい。じゃ、それは個別指導ですねといわれるのですが、現実の個別指導もこのように教え方が違うわけではないのです。あるカリキュラムの中で同じ順番で教えていく。ただ、一人を相手にするか、複数を相手にするか、その違いしかないのです。

■塾は実は、その研究をしなければならないのです。子どもができるようになる、理解が進むようになる、そして成績があがるようになるための研究。私がよく、子どもをほめてくださいというのも、ひとつの指導法であるわけですが、精神的なことばかりでなく、子どもの性格、理解度にあわせていろいろな指導法があるのではないかということです。

■昨年、ある生徒に半年で受験準備を終えるカリキュラムを作りました。スタートが遅いので、全部など到底間に合いません。ですから、出そうなものから学習するという優先順位で勉強してもらいました。合格までにはいたりませんでしたが、最後の方は結構問題が解けるようになっていました。データーベースやコンピューターが発達した今、まず手をつけなければいけないのはここではないかと思うのです。塾はできない子をできるようにして、何とか合格させてあげなければいけないのですから。

(平成16年9月17日)