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第5回 新中1準備授業

 

■「入試が終わったとたん、通っていた塾から新中1準備授業のお誘いがきました。ようやく終わりと思ったとたん、こういうお知らせをいただいて、結構わだかまっているのですが、先生は、どう思われますか?」というメールを頂戴しました。みなさん、どう思われますか?

■塾としては、続いて通ってきてほしいという思いがあるので、そういうイベントが行われるのかもしれませんが、私は新中1準備授業は大事だと思っています。私の経験をお話しましょう。私も中学受験をしました。結果は本人の努力とは裏腹に、非常にいい結果に終わったのです。思いもよらず合格してしまったので、それからは遊びまくりました。

■私の両親とて、これには文句が言えません。「まあ、今まで勉強したんだから。」(本当は今の子どもたちの半分もやってないのです。)「友達とももうすぐ別れることだし。」(その後だって結構遊んでました。)結果として2月、3月と遊びまくり、勉強というものからまったく離れてしまいました。(6年生の2月、3月なんて学校で勉強することなんてほとんどないでしょう。)

■結果として、きわめて遊び癖がついた状態で、私は進学校に進んだわけです。学校がきわめて自由で、子どもたちの自主性に任せていただけに、さらに火に油を注ぐ結果となりました。中学2年の終わりには、明らかに後ろから数えた方が早く、担任には「入ったときの成績は悪くなかったんですがね。」と言われる始末です。

■受験が終わって、息が抜ける時期になりました。大いに遊んでもらって結構なのですが、だからといって勉強がなくなっていいわけがありません。中学からは数学も英語も始まります。まして、最初はなれない電車通学の子がほとんどですし、クラブ活動も始まれば、もうくたくたです。そこに遊び癖がついていれば、結果は自明でしょう。

■今のうちから予習をするというほど、気合をいれなくてもいいですが、少なくとも遊び癖がつかないように、多少は勉強しなきゃだめなんだという気持ちを持たせる意味でも、準備授業は良いイベントではないでしょうか。せっかくやってくれるのであれば、ぜひ参加されると良いでしょう。

(平成16年2月14日)

第4回 高校受験と中学受験の偏差値の差 

■先日、質問があったので、話題にしたいと思います。中学受験でも高校受験でも学校ごとに合格可能性の偏差値が出てきます。ところが学校によっては中学受験では48くらいなのに、高校受験だと60になってしまうことがあります。この数字を見て、高校受験の方が難しいのね?という結論は間違いです。なぜでしょうか。

■問題は受験率にあります。受験に熱心な地域だと2月1日は学級閉鎖状態になる学校もありますが、首都圏における中学受験率は昨年で14%でした。つまり小学校6年生100人のうち中学を受験した生徒が14人いたことになります。今年は指導要領の改訂で17%前後まで跳ね上がるという人もいますが、それでもまだ20%に達していません。

■一方、高校受験率は97%近くに達します。したがって高校受験の偏差値と中学受験の偏差値では母集団がもともと違うことがわかります。偏差値は平均で50を示しますが、高校受験と中学受験で母集団が違う以上、平均も異なるはずです。

■おおざっぱな見積もり方をしても中学受験の偏差50が高校受験の60前後になろうかと思います。ここで10ポイントの開きがあることを前提にして考えれば、中学受験で45だった学校は高校受験では55が妥当な評価ということになりますので、数字だけ見れば高校受験の方が難しく見えるのです。もちろん70の学校が80になるわけではありませんが、平均付近ではそのくらいの差があると考えてよいでしょう。

■実際には高校で浪人する生徒は首都圏ではあまり多くありませんので、ほぼ学年を吸収している現実を考えれば、定員にも大きな開きがあります。中学受験生の数と定員もほぼ一致していますので、高校募集定員のほぼ20%程度と考えてよいでしょう。

■ただ、中学受験で募集をしてしまった6年一貫校の場合、高校での募集をしない学校が多くなりました。したがって、数からいえば高校受験生の方が圧倒的に多いものの、上位層での動きは明らかに中学受験中心と考えてよいと思います。現状の公立中学の内容を考えると、今年はそれに拍車がかかったとみるべきでしょう。したがって難しさからいえば、中学受験の方に軍配が上がるだろうと思います。

(平成16年2月6日)

第3回 英語の勉強法 

■最近、電車の中で英語の勉強方法のコマーシャルがたくさん見られます。みなさん、ご存知の通り、英会話学校の広告なのですが、それなりに持論が展開されています。しかし日本人の英語の勉強法ということになると、やはり違うかなという気がしてくるのです。

■日本の学校で英語を勉強したところで、話せないし聞けないという話がよく議論になりますね。本当にそうだろうかと私は実は思っているのです。日本では当然、テレビも日本語、新聞や雑誌も日本語です。日本語で生活ができるし、特に何の不自由も感じません。ところが、そういう環境でなくなると、話は一変します。

■例えば勤めている会社が外資系になって、突然社内の公用語が英語に変わった場合。しかしながら、日本でしか英語を勉強しなかった人々がどんどん話したり聞いたりできるようになっていきます。もちろん、それまでにいろいろと努力があるでしょうが、基本になっているのは、中学や高校でならった文法です。どう表現するか、ある程度のルールがわかっていれば、あとは語彙の問題になりますから、何とか話せるし、やがては聞けるようになると思うのです。

■私は20年間塾で働いてきましたので、子供たちに英語を教える機会はありました。ですから文法や単語の知識は多少あります。しかし、同じように聞いたりしゃべったりすることに関してはあまり、得意ではありませんでした。ところが塾を離れてからしばらく、外資の仕事をすることがあり、何回か英語で商談をしなければならなくなったのです。まあ、大変でした。一人で西海岸に出張しなければならないこともあり、そのときは相棒がいませんから、まさに英語のシャワーを浴びます。するとあるときから、だんだん耳や口が動き始めてくるのです。英語をしゃべらないと生活ができないのですから、必死です。

■しかしながら、その基本はやはり学校や受験勉強で培った文法と単語の知識です。そこから組み立てられてくるわけです。そしてここのところが重要ですが、日本で生きていく限り、英語のシャワーは浴びれないのですから、まずきちんと文法や単語の知識を持つべきではないかと思うのです。

■もちろん語学学校で英語のシャワーを浴びることはできるでしょう。しかしそれが日常にならないので、そう感覚が鋭くはならないのです。それよりも大事なのは文法や単語の知識ではないでしょうか。最近、つくづく思っているのですが、大学の受験勉強で後々、一番役に立ったのは、私は英語だと思います。

(平成16年1月24日)