コーヒーブレーク」カテゴリーアーカイブ

第20回 大学全入時代

■2007年度に大学の志願者数と入学者数が均衡するそうです。大学を選ばなければ全員が大学にいけるということになるわけですが、今でも定員割れをする大学はありますから、もはや大学全入時代になったと言っていいでしょう。先日、ある大学予備校の先生と話をした時、その先生は「今は中3の勉強がある程度できる生徒であれば、大学には入れる」と断言していました。実際、その通りなのかもしれません。

■高校がほぼ全員入れるようになったとき、急速に高校から退学者が増え始めました。高校の学習についていけない生徒が多数いたからです。本来、高校での学習はそれなりに専門性を持ち始めます。しかも最近は義務教育においてカリキュラムをどんどん削減して高等学校にまわしてしまったので、高校の勉強についていけないという生徒がたくさん出ても仕方がないのです。

■ところが、今後これがより高等教育に進む大学で起こるのです。大学では、高校での学習がしっかりできていない生徒に対して再履修指導を行うまでになっているのですが、それでも本来必要な単位を取れない学生が増える可能性があります。

■大学としては多くの留年者を出すわけにはいかないので、単位取得についてある程度緩和する以外に道がないでしょう。しかし、学生は現在でも、勉強に対して大きなストレスを感じているのだそうです。大学生というと、あまり勉強しないでアルバイトしたり、遊んだりしているというイメージが強いのですが、大阪大学の調査によれば、以前に比べてかなり長く勉強をしています。

■にもかかわらず、勉強がわからない、勉強の仕方がわからないという学生が少なくないのです。日本の学生の学力低下が言われていますが、大学で学習する学生のレベルが非常に幅が広くなり、大学自体が提供する教育の内容を吟味しなければならなくなっているのです。一方でまだ学歴に対する意識は大きく、大学は卒業しなければと思う学生は少なくありません。したがって最近の大学生は、学習に対するストレスが以前に比べて格段に大きくなっているのかもしれません。

■経済水準が上がり、大学教育を受ける人の数が増えてきたわけですが、一方で小学校高学年から中学にかけての学習内容を削減し、高校や大学でできない学生をたくさん輩出してしまうことは、やはり大きな問題なのではないかと思います。現政権が、この状況に目をつぶってしまうと大きな国力の損失を招くのではないでしょうか。

(平成16年12月1日)

第19回 天動説と地動説

■国立天文台の縣秀彦助教授らが小学校4年生から6年生までに行ったアンケートの結果、地球は太陽の周りを回っていると解答した生徒が56%にとどまり、42%が天動説を選んだことが話題になりました。この原因が指導要領にあることは、あまり知られていないかもしれません。

■現行指導要領は、3年生で太陽の観察、4年生で月と星の観察があるだけで、何とそこから中学3年生まで天体の勉強は、一切出てこないのです。これについて文部科学省の御手洗次官は会見で「地球の自転や公転についての学習は中学校で、きちんと体系的にすることになっている。」「指導要領の全体の構成を見てほしい」と反論しています。

■中学入試の世界から考えると信じられないようなカリキュラムなのですが、これが現実なのです。なぜこんなことになってしまったかといえば、理科の総授業時間に大きく関わっています。1968年改訂の指導要領では義務教育9年間の理科の授業時間は1418時間ありました。しかし、現行の指導要領では何と640時間しかないのです。半分以下になっているわけですから、その中で何とかやりくりをした結果、繰り返し学習すべき部分がはずされていったのです。

■むしろ、このカリキュラムでよく半分以上の子が地動説と答えたというべきなのでしょうか。太陽の沈む方向について西と答えた生徒も73%はいたということなので、むしろ家庭教育や塾ががんばっているということになるのでしょう。こういう現状を知らないまま、学校に通っていれば何とかなると思ってしまうのは、あまりに危険なことかもしれません。現行指導要領でも確かに義務教育中に学習するのですが、子どもたちが好奇心、関心を抱く分野を提示する時期をここまで遅くしてよいのでしょうか。

■指導要領がこのような進み方をする限り、中学受験を経て私立中学で学習する生徒の知的満足度は公立に比べ、かなり差がでてくるでしょう。このことに関して文部科学省は、根本的な対応をしていません。本来天体は1年に少なくとも1回は繰り返し学習し、十分な定着を図る範囲なのです。これは受験カリキュラムでも議論されることですが、カリキュラムは実際にはスパイラルカリキュラム(重要な範囲について、時期を分けて何回か繰り返すプログラム)の方が生徒の理解度が増します。むしろこの方がゆとり教育なのではないでしょうか。

■受験勉強をし、私立に行くということは、誰もができることではありません。経済的問題にとどまらず、実際に私立中学が少ない地域はたくさんあるのです。その結果として、教育を受ける機会均等が今の日本では失われつつあるというのが私の実感です。今のところ家庭がそれを補う以外に道がないというのは、何か方向が間違っていると思うのです。

(平成16年11月24日)

第18回 教育論

■先日、テレビを見ていたら、小さいうちから英語をマスターするために新幹線で英語塾に通う親子のルポをやっていました。その英語の塾に通うために、遠く東北地方から母子が単身赴任(?)してきているのですが、どうしてそうしたいのかがよくわからないのです。

■これからの子どもは、英語が話せないと苦労するという漠然とした不安だけで、子どもの教育にとってマイナスなことを行っていることが、どうもこのお母さんにはわからないようです。お父さんの仕事のせいで家族が分かれて住むご家庭は増えていますが、可能な限り、お父さん、お母さんがいる家庭で子どもは育つ方がいいに決まっています。それを幼稚園から英語の塾に通うために、家族ばらばらになる意味はあるのでしょうか。

■どうも早期教育に関して、みなさんが間違った考え方にたっているような気がするのです。確かにバイオリンのプロをめざすためには、小さいときからの訓練が必要なのかもしれません。それはバイオリンのプロを目指すということがはっきり決まっている(親が決めているかもしれませんが)のでまだ理解できます。しかし、英語や算数、計算等についていえば、必要になった段階で学習することで十分に間に合う範囲なのです。

■日本人が英語を話したり、聞いたりするのが苦手なことは周知の事実です。なぜでしょうか?日本で暮らしている限り、日本語で何の不自由もないからです。東南アジアでは英語が使えないと不自由があるかもしれません。もちろん日本でも外資系の会社に行けば英語が使えなければ、話にならないでしょう。しかし、一般の日本人は英語が使えなくても不自由はありません。テレビも日本語、新聞も日本語、日本語ができないことの方が問題なのです。だからまず、普通の日本人として育てることが大事、そして英語もしかるべき時期に勉強することは大事です。(私は英語を勉強することを否定しているわけではありません。しかるべき時期に勉強することは大事であり、それは中学生からでも十分に間に合うと思っているのです。)

■幼児教育の段階で最も大事なことは、お父さん、お母さんの愛情をいっぱい受けて、思い切り遊ぶことです。お友達ができ、社会性が生まれ、コミュニケーション能力が生まれます。それ以上に優先する教育があるとは到底思えないのです。早期教育に関して言えば、いろいろありますし、小学生で微積分ができたとか、いろいろ話は聞きますが、「だからどうなの?」と私は思うのです。微積分は高校でできれば十分なのであって、それを早くできたからといって、その分その子の教育で失ったものがあれば、そちらの方が問題ではないでしょうか。近年わけのわからない早期教育方法論が出てきますが、ただ商業主義であるだけのように思えるのです。

■中山治さんという心理学の先生が、その著書「親だけが伸ばせる知力・学力・人間力」の中で親が危ない教育情報を排除し、重要な情報を見抜く方法を指摘しています。

情報を集めることに手間暇を惜しまない
定量的情報(IQ,点数、偏差値など)と定性的情報(テストの内容や子どもの個性など)の違いと性質をよく知っておく
重要な問題は必ず対立する両方の意見を徹底的に比較する
自己責任で基本方針を決める
少しでも不都合なところや疑問点がみつかったら、ただちに軌道修正する柔軟性をもつ
迷ったら、必ず中庸、バランス感覚という原則に立ち戻る
私は特に最後の中庸というところが教育では大事な点だと思うのです。子どもを育てるにあたって、何事も過度というのは何らかの問題を起こす可能性があるのです。受験だって、過度になれば百害あって一利なしです。

(平成16年11月17日)