第29回 偏差値と順位

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    先日、あるお母さんから
    今度入った塾は、席からクラスまで全部テストの成績で決まるんです。これって当たり前なんですか?」
    というお話を聞きました。
    確かに個人情報が露骨にわかりますね。プライバシーがないといえば、本当にそうでしょう。しかし、その方法をとっている塾が案外多いものです。
    ひとつには先生や席についてのクレームをすべて封殺できるからでしょうか。「あの先生だとうちの子の成績は上がりません。」とクレームをつける保護者がいるかどうかは別として、「一つの基準を設け、例外を作らない」とすれば、「いやなら、やめればいい」という結論しかないわけで、それを押し通すことでシステムを完成させているわけです。子どもたちは、親が思うほどではなく、柔軟にそんな状況に対応しているようですが。
    ただ、偏差値とか順位というものに、いったいどれだけの意味があるのでしょうか?
    私が最初にこの仕事を始めた塾は、6年生は全員どこかの学校別特訓に参加していたので、共通して受けるテストというのは外部の模擬試験だけでした。それは麻布特訓の子と開成特訓の子を比べることに意味がない、という考えからです。
    これは成績で志望校を決めないという前提があるからできることです。麻布に行きたいなら、まず挑戦してみる、ここがスタートポイントでなければならないでしょう。その塾は武蔵の合格者が多かったのですが、武蔵には当時、独特の学校別傾向がありましたから、外部の模擬試験の成績が悪くても、塾の武蔵用の試験の成績がよければ合格していましたし、それは他の学校別特訓でも同じことがいえました。
    志望校が違う生徒を同じ基準の上において並べることはあまり意味がないのです。全員の生徒を同一カリキュラムで教えるのであれば理解度を試す試験が必要かもしれませんが、それは達成度を測ればいいので、絶対評価であればよく、(つまりわかっているか、わかっていないかですね)、ことさら順位を示す必要はないでしょう。
    クラス分けテストは合理的に見えて、実は不合理なことが多々あります。多くの場合、4教科の偏差値で分けることになりますが、国語の偏差値と算数の偏差値が同一であるとは限りません。算数はできるが、国語ができないとすれば、偏差値はその間にきますから、どちらの教科も「実力に合わない」クラスに入ることになるのです。
    つまりこの基準はすべて「塾の都合のためにある」といっても過言ではないのです。
    私のかつての塾では学校別特訓のために教員を育て、教材をすべて学校別傾向に合わせて作るということが必要でした。その労力の分だけ、子どもの負担は減ります。これが同一の教材、同一のカリキュラムであれば、そこまで大きな負担はありませんし、そのカリキュラムを教えることができれば教壇に立つことはできます。だから一般化は可能になるでしょう。ただ、その分だけ子どもの負担は増えます。
    残念ながら学校別に特化した塾は今、ほとんどないので、家庭で上手に切り分けていくしかないのです。
    ただ家庭学習中心になれば、塾の仕組みを上手に利用することができます。必要なものだけを受講し、不足するものはまた別の教材で補う、ということをすれば子どもたちがやるべき勉強はもう少し省力化できるのです。ここはぜひお父さん、お母さんにがんばってもらいたいと思います。

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