制服の良し悪し

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アメリカの学校の様子を見ていると、まあ、私服ばかりで制服の学校はあまり見ない。一方でイギリスの学校では制服のある学校もあったりする、

私は中学3年のときに、その学校で制服がなくなった。今もないようですが、元から高校はなくなってしまったので、中学だけあるのはおかしいだろう、みたいな部分もあったから、そこから制服は着なくなった。

その結果として、まあ、本人たちが思い思いの服装をしました。だから私個人は、制服がなくても違和感はあまり感じません。しかし、違和感を感じる方は少なくないようです。

制服がないと「私服にお金がかかる」というので、最近、公立の学校でも制服を復活させるところもあります。私が知っている公立中学は制服をなくした代わりに、全員にジャージを着せた。これもひとつの考えではあると思います。どうせ運動するんだし、汚れるからジャージの方が洗濯は便利だろう。しかし、ことフォーマルな場面でジャージを着るわけにもいかない。この辺は多少考えるべきことがあるのです。

制服はある意味非常に便利なものです。冠婚葬祭、全部制服で事足りる。もともとはフォーマルウェアであるわけだから。制服を着ていさえすれば安心、という面はあるかもしれません。しかし、それはある意味服装に対する概念を中途半端にする部分がある。

制服があるからデフォルメに走る。ぎりぎりまでズボンを下げたり、思い切りシャツの胸を開いてしまう、というのは、どう見てもカッコ良くはないが、しかし、デフォルメでもしないと個性が出せないから、こういうことに走る部分はあるでしょう。

基本的に制服を続けている学校は、生徒を信頼しているわけではない、と思います。制服をなくしたら、思い思いの服装になって、学校としてまとまらなくなると考えられているでしょう。

私自身は本来、子どもを信頼すべきことのひとつに服装があると思っている。自由な恰好をさせる代わり、人がどう思うかをしっかり教える部分はあっていい。それをせずに形式に信頼を寄せることが教育の本質であるとは思えないのです。

近年、制服がなくなった学校はいくつかありますが、その学校で問題が起こったとはあまり聞かない。私の出た学校はすでに40年近く制服がないままだが、それで何の問題もないのです。

確かに私服にお金がかかる部分もあるが、その分、実は服装に対する教育をしていない、という面も否定できません。制服に頼って、その部分をおろそかにしてはならない。むしろ自由にして、服装に対する考え方を教えることも重要なのではないでしょうか。

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