エネルギーに関する問題(1)

2019年栄光学園の問題です。

私たちは,自然界に存在するさまざまなエネルギー資源を利用して生活をしています。なかでも「石炭」は,私たちの生活にかかせないものとして,長く利用されてきました。石炭がどのように利用されてきたか考えてみましよう。

Ⅰ 文章を読んで,問に答えなさい。
石炭は,江戸時代にはすでに使われていました。この時代に貝原益軒という学者が著した『①筑前国続風土記』という書物に,石炭についての記述があります。それによると,「燃石(もえいし)」といわれた石炭は,家庭などで薪のかわりとして使われていました。その後,石炭は瀬戸内地方で盛んであった製塩業でも使われました。
江戸時代のおわリの1853年に「黒船」が浦賀沖に現れました。「黒船」は,蒸気船でした。蒸気船は,石炭を燃料として,蒸気を発生させて,蒸気のもつエネルギーを動力とする蒸気機関を利用していました。②アメリカ合衆国の使節ペリーは,開国を求める大統領からの手紙を持ってきました。1854年,日米和親条約が結ばれ,下田と函館の2港が開港し,1858年に日米修好通商条約が結ばれると,横浜や長崎などが開港しました。④江戸幕府の役人であった勝海舟は,オランダ製の蒸気船の咸臨丸で,条約手続きのためアメリカに渡りました。

問1 下線部①について,筑前国とは,おおむね現在のどの県にあたるのか,次のア~エから1つ選びなさい。
ア 岡山県   イ 福井県   ウ 福岡県   エ 宮城県

問2 下線部②について,まちがっているものを次のア~エから1つ選びなさい。
ア ペリーは,琉球(沖縄)に立ち寄ってから来た。
イ ペリーの乗った黒船には,大砲が備えられていた。
ウ アメリカは,船に石炭や食料を補給するための基地が必要であった。
エ アメリカは,中国の明と貿易をするための港が必要であった。

問3 下線部③について,次の表は,1867年の函館港,横浜港,長崎港で取り引きされた主要輸出品の輸出額の順位をあらわしたものです。このうちイほどの港か,答えなさい。

問4 下線部④について,勝海舟とともに成臨丸に乗船し,アメリカに渡った人物がいました。その中で,後に『西洋事情』や『学問のすゝめ』を著した人物を答えなさい。

明治時代になると,蒸気機関を用いた乗り物が利用されるようになり,⑤1872年に鉄道が開通しました。この鉄道は「蒸気車」や「陸蒸気」などと呼ばれていました。その後,鉄道は全国に広がり,旅客だけでなく貨物の輸送でも大きな役割を果たしました。やがて,蒸気船や鉄道は,石炭を燃料としないように変化していきました。⑥日露戦争では蒸気機関を使った軍艦が活躍しましたが,第二次世界大戦のころには,新しい軍艦などは,〔 ⑦ 〕を燃料とするようになりました。
一方,多くの鉄道は,1950年代まで石炭を燃料としていました。第二次世界大戦より前から鉄道に電力を使う技術はありましたが,発電や送電のための施設が攻撃を受けると鉄道輸送ができなくなる可能性があるため,軍が反対していたといわれています。戦後,日本国有鉄道(国鉄)では利用客や貨物の増加に対して,列車の速度を上げることで輸送力を増やそうとしました。そして,⑧現在のような電車を中心とした輸送方法に変わっていきました。

問5 下線部⑤について,この時,鉄道はどことどこの間に開通したのか,次のア~エから1つ選びなさい。
ア 新橋と品川  イ 横浜と新橋  ウ 横浜と高崎  エ 新橋と高崎

問6 下線部⑥について,この戦争では石炭を燃料とする軍艦が使われ,ロシアの艦隊は,石炭の補給に苦労したといわれています。石炭の補給の妨害をした日本の同盟国を次のア~エから1つ選びなさい。
ア アメリカ   イ イギリス   ウ ドイツ   エ フランス

問7 〔⑦〕にあてはまる燃料を答えなさい。

問8 下線部⑧について,蒸気機関車より電車のほうが,速度を上げられるという利点があります。蒸気機関車とくらべて,電車には他にどのような利点があるか,1つあげて具体的に説明しなさい。

石炭は,工場でも使われました。1872年に⑨群馬県の〔 9 〕に官営の製糸場が建てられました。この場所に建てられた理由のひとつに,機械を動かす蒸気機関の燃料となる石炭が,高崎など近いところから手に入れられることがあったといわれています。
石炭は,鉄を作る製鉄の原料としても使われました。石炭を蒸し焼きにしたものをコークスといいます。このコークスを鉄鉱石といっしょに燃やして,高温の炉のなかで鉄を取り出します。さらにこの鉄をねばり強い鋼にし,さまざまな形の鉄鋼製品を作ります。
文明開化の時代から,鉄は,建物や鉄道などさまざまなものに利用されてきました。1901年には⑪八幡製鉄所が開業し,日露戦争後には,造船や機械などの重工業が発達していきました。第一次世界大戦のころになると,機械を動かすために電気を使う工場が増えていきました。このころ工場の集まる大都市では,石炭を燃料とした火力発電が中心でした。
一方,大都市から離れた山岳地帯で大規模に〔 ⑫ 〕発電を行い,送電することもこのころから盛んになっていきました。

問9 下線部⑨について,(1)と(2)に答えなさい。
(1)〔 ⑨ 〕にあてはまる地名を答えなさい。
(2)この製糸場の建設を指導した人物は,どこの国の技術者か,次のア~エから1つ選びなさい。
 ア イギリス   イ 中国   ウ フランス   エ ロシア

問10 下線部⑩について,日本では,石炭を使って製鉄を行う以前は,木炭を原料として使っていました。鉄で作られた刀剣などが各地の遺跡から出土しています。「ワカタケル大王」の名前が刻まれた鉄剣が出土した遺跡はどこか,次のア~エから1つ選びなさい。
 ア 稲荷山古墳  イ 大森貝塚  ウ 三内丸山遺跡  エ 吉野ヶ里遺跡

問11 下線部⑪について,まちがっているものを次のア~エから1つ選びなさい。
 ア 八幡製鉄所では,近くの炭田から手に入れた石炭が使われた。
 イ 八幡製鉄所では,中国などから輸入した鉄鉱石が使われた。
 ウ 八幡製鉄所は,日清戦争の賠償金などを使って建てられた。
 エ 八幡製鉄所は,ロシアに鉄鋼製品を輸出するために建てられた。

問12 〔⑫〕にあてはまる語句を次のア~エから1つ選びなさい。
 ア 原子力   イ 水力   ウ 太陽光   エ 地熱

文明開化の時代,輸送や工場の蒸気機関の燃料としてだけでなく,石炭は灯りの原料にもなりました。この時代にガス事業が開始され,1872年には横浜にガス灯がともりました。
ガス灯は,石炭から作られたガスを使っていました。⑬ガス灯は,街灯だけでなく,室内でも使われました。やがて灯りは,電球などの開発が進み,ガス灯から電灯へとかわっていきます。
 その後,石炭から作ったガスは,おもに熱源として利用されるようになっていきます。ガスを使った調理器具や湯沸かし器などが使われるようになりました。1882年に立憲改進党をつくった〔 ⑭ 〕の家の台所には,イギリスから取り寄せたガスレンジがあったそうです。近年,⑮台所,風呂などで使う都市ガスは,石炭から作られなくなってきています。

問13 下線部⑬について,1883年に明治政府は,東京に外国人を招いて舞踏会を開くための洋館を建て,その室内にもガス灯がともされていました。明治政府によって建てられたこの洋館の名前を答えなさい。

問14 〔⑭〕にあてはまる人物を答えなさい。

問15 下線部⑮について,現在,都市ガスの多くは,天然ガスから作られています。石炭からガスを作っていた工場は使われなくなりました。石炭ガス工場の跡地が,さまざまな形で利用されています。2018年に築地から移転した市場のある場所もそのひとつです。その場所はどこか,地名を答えなさい。

【解説と解答】
問l 筑前は福岡県。
(答え)ウ
問2 明は時代がちがいます。
(答え)エ
問3 石炭が入っているので長崎。
(答え)長崎
問4 「西洋事情」、「学問のすすめ」の著者は福沢諭吉。
(答え)福沢諭吉
問5 新橋・横浜間に鉄道が敷かれました。
(答え)イ
問6 日本の同盟国ですからイギリス。
(答え)イ
問7 石油で動くようになっていました。
(答え)石油
問8 煙が出ないほか、石炭や水を積む施設や時間が必要ありません。
(答え)煙が出ない。(水や石炭を積む時間が必要ない。積むための施設が必要ない。など)
問9 富岡製糸場。フランスの技術者で、ポール・ブリューナという人でした。
(答え)(l) 富岡  (2) ウ
問10 稲荷山古墳。
(答え)ア
問11 日本の重工業化に寄与したので、ロシアへの輸出は関係ありません。
(答え)エ
問12 山岳地帯ですから水力発電。
(答え)イ
問13 欧化政策の一環でした。
(答え)鹿鳴館
問14 立憲改進党をつくったのは大隈重信。
(答え)大隈重信
問15 築地市場に代わったのが豊洲市場です。
(答え)豊洲

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