2021年フェリス女学院の問題です。
図1は、西から東へ1000mの広さがあり、高さが300mある丘の等高線の様子を示した図です。また図2は、図1のA~Cの地点でボーリング調査を行い、地下の地層の重なりを示したものです。
次の①~⑥の説明文は上図の地層ができた順に説明したものです。
① 大昔、この土地は海岸に近い浅せの海底であった。
② 気候が温暖化し、サンゴがたくさん生息した。
③ 土地がしずみ、海底が海岸から遠くなった。
④ 火山がふん火した。
⑤ 土地がおし上げられ、河口付近の海底になった。
⑥ 土地がさらにおし上げられ、海底が陸地になった。
問1 図2の地層(ア)~(オ)に関する次の問に答えなさい。ただし、(ア)~(オ)の地層はすべてちがう岩石でできています。
(1)地層(ア)は2mm以上のつぶでできていました。何岩でしょうか。
(2)地層(イ)は火山がふん火したとき出たものが海底に積もってできた「ぎょうかい岩」です。「ぎょうかい岩」にふくまれる2mm以下のつぶは何でしょうか。
(3)地層(ウ)は海岸から遠くおき合の海底まで運ばれ積もったもので、一番つぶの細かい「ねん坂岩」とよばれるものです。ねん板岩は、何岩がさらにおし固まってできたものでしょうか。
(4)地層(エ)をつくっている「せっかい岩」に塩酸をかけるとあわが出ました。このあわは何でしょうか。
(5)地層(エ)で多く発見されたものは何でしょうか。
(6)地層(オ)をつくっている岩石は何岩でしょうか。
問2 図1の丘を西(Ⅹ)から東(Y)へ垂直に切ったときに、地層(エ)の断面はどのように見られるか、解答用紙の図中にボーリングした地点(図1のA~C)のはん囲で表しなさい。なお、図2のすべての地層は、ずれや曲りはなく、たい積しています。
3 図3は今から99年前(1922年)の横浜市にある海岸線の様子を示した地図です。また図4は今から82年前(1939年)の図3と同じ場所の様子を示した地図です。図3の時点から17年たって、海がうめたてられ公園ができたことがわかります。
*図3は旧日本陸軍陸地測量部、図4は同左部と横浜市が作成した地図を一部改変したものです。
(原図の出典:『横浜タイムトリップガイド』同左制作委員会編)
今から8年前(2013年)に、その公園でボーリング調査が行われました。公園の地下6mの深さまでボーリングした結果、下表のような地層の重なりができていることがわかりました。
(問)地表から1.8m~4.5mまでの深さの地層にあるものは、いつごろ、何が原因でできたものか、考えられることを説明しなさい。
【解説と解答】
1
(1)2mm以上の粒ですから礫になるので、礫岩です。
(答え)礫岩
(2)凝灰岩は火山灰が堆積してできた堆積岩です。
(答え)火山灰
(3)粘板岩は硯などにもつかわれますが、泥岩が押し固まったものです。
(答え)泥岩
(4)石灰岩に塩酸をかけて出る気体は二酸化炭素です。
(答え)二酸化炭素
(5)石灰岩はサンゴの死骸が固まって堆積したものですから、サンゴの化石が多く発見されます。
(答え)サンゴの化石
(6)最初は浅瀬であったことから、砂岩です。
(答え)砂岩
2 Aは標高が240m、エの最上部は地表面から100mですから標高140mで、エの深さは40mあります。
Bは標高が300m、エの最上部は地表面から140mですから、標高160mでAから20m上に上がっています。
Cは標高が280m、エの最上部は地表面から100mですから、標高180mでBから20m上に上がっています。
以上を元に40mの幅を図示すると以下の図になります。
(答え)
3 1922年にはなかった公園が埋め立てられてできました。そこをボーリングしたところ、1.8m~4.5mには赤煉瓦の破片や熱で変形したガラス片、などが出てきています。これは1923年に起きた関東大震災のがれきをここに埋め立てたからです。当時、多くの建物が倒壊して、そのがれきをどう処理するかが問題になりました。そこでこの海岸線を埋め立てて公園にしたのです。これが現在の山下公園になります。
(答え)1923年に発生した関東大震災によって多くの建物が倒壊したことでできたと考えられる。
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