2019年 浅野中学の問題です。
次の文章を読み、後の問いに答えなさい。
みなさんは盆踊りに参加したことがありますか。日本では8月の中旬にお盆休みといって、多くの人々が里帰りをします。しかし、なぜこのような慣習があるのでしょうか。例えば盆踊りは、( あ )に催されるようになったとされます。そもそも盆とは、死者を供養する仏教の慣わしと、祖先の霊をまつる在来の信仰が結びついた日
本独自のものであるとされます。このようにみなさんの身の回りにある慣習には、それぞれに背景や理由があります。ここでは、盆踊りと同じく夏の代表的な文化である、「土用の丑の日にウナギを食べる」のはなぜか、について考えてみましょう。
日本においてウナギは古代から食べられていたことが分かっており、全国約130カ所の1 縄文・弥生時代の遺跡からウナギの骨が出土しています。また、万葉集の中には大伴家持がよんだウナギの歌があります。その内容は「夏痩せした知人にウナギをすすめる」といったものです。
鎌倉時代には、2 宇治周辺でウナギ漁が盛んでした。また、室町時代にウナギは「宇治丸」と呼ばれた鮨として食され、3 室町幕府の役人や公家たちが参加する宴会などでも振る舞われていたと考えられています。なお、現在のようなウナギの食べ方が普及するようになったのは、4 関東で濃い口しょうゆが開発された江戸時代でした。
そして「土用の丑の日にウナギを食べる十という慣習が生まれたのも江戸時代です。一説には、平賀源内が「本日、土用の丑の日」というキャッチコピーを考案したのが始まりとされます。ここで言う「土用の丑の日」とは、( い )前の18日間の土用(注)のうち、丑の日のことです。もともとこの時期に夏パテ対策で精のつくものを食べる習慣や、丑の日に「う」のつくものを食べると良いという言い伝えもあったことから、この表現が受け入れられたのかもしれません。さらに、江戸時代は5 食文化の発展する条件が揃った時期であることも、忘れてはならない背景でしょう。なお、ウナギを取り扱う店としては、高級料亭から露店まで、さまざまな形態が出現したことが分かっています。
以上のように、「土用の丑の日」にウナギを食べるようになったのは江戸時代でしたが、そこに至るまでにも日本のウナギ文化は時代ごとの状況に影響を受けつつ、時間をかけて変化してきたことが分かります。ウナギに関する近年の動向をみると、6 環境汚染によるウナギ漁の衰退や、絶滅危惧種への指定・養殖技術の発展といったウナギ資源の減少に関連した動きが出てきています。一方で我が国は日本の食文化を世界に発信する取り組みも進めており、ウナギ料理もこれに含まれます。今後、日本のウナギ文化はウナギ資源の減少という昨今の動向を受けて、どのように変化していくのでしょうか。
(注)「土用」とは、立春・立夏・立秋・立冬の直前の18日間のことを指します。そしてその18日間に「子、丑、寅」といった十二支を割り振り、「土用の子、丑、寅」などと呼びました。つまり夏の「土用の丑の日」とは、( い )前の18日間の土用のうち、丑の日のことを指しています。
問1 ( あ )には、なぜ盆踊りが行われるようになったのか、その理由が入ります。( あ )にあてはまる内容としてもっとも適切なものを、次のア~エの中から1つ選び、その記号で答えなさい。
ア 農業や漁業、林業などに従事する人々の労をねぎらうため
イ 遠くからやってくる家族や観光客をもてなすため
ウ 死後の世界から戻ってきた先祖や死者を慰め、送り出すため
エ 成仏のできない死者の霊を慰め、無事に成仏してもらうため
問2 ( い )にあてはまるもっとも適切な語句を、次のア~エの中から1つ選び、その記号で答えなさい。
ア 立春 イ 立夏 ウ 立秋 エ 立冬
問3 下線部1について
[表1]は縄文時代と弥生時代の違いについてまとめたものです。後の[文1]は、どの違いを根拠としていますか。[表1]のア~エの中から正しいものをすべて選び、その記号で答えなさい。
[文1]
縄文時代は身分の差がない社会であったと言われているが、弥生時代には身分差が生じていたと言われている。
問4 下線部2について-。
宇治においてウナギ漁が盛んになった理由として適切でないものを、次のア~エの中から1つ選び、その記号で答えなさい。
ア 両替商の登場により、貨幣の流通が活発になったから。
イ 近くにウナギを消費する大都市があったから。
ウ 漁師集団が大寺社から漁業に関する特権を与えられていたから。
エ 陸上交通や水上交通の要衝に位置していたから。
問5 下線部3について-。
[文2]は、室町幕府のしくみを説明したものです。これを図にしたものとしてもっとも適切なものを、後のア~エの中から1つ選び、その記号で答えなさい。
[文2]
「室町幕府の地方機関には、鎌倉府などがあった。足利尊氏は鎌倉幕府の基盤であった関東をとくに重視し、東国の支配は鎌倉府に任せた。鎌倉府の組織は室町幕府とほぼ同じで、権限も大きかったため、やがて室町幕府としばしば衝突するようになった。」
問6 下線部4ついて-。
[図1]は、江戸時代の関東で濃い口しょうゆが開発された過程についての一説をまとめたものです。( う )にあてはまる内容にかかわる絵としてもっとも適切なものを、後のア~エの中から1つ選び、その記号で答えなさい。
問7 下線部5について-。
江戸時代において食文化が発展した条件として適切でないものを、次のア~エの中から1つ選び、その記号で答えなさい。
ア 新田開発により耕地が広がり、生産力が発展した。
イ 料理本の出版が盛んになり、調理技術が一般に普及した。
ウ 同業者の組合である座が結成され、商業活動が盛んになった。
エ 流通網が整備されて、全国各地の特産品が行き渡るようになった。
問8 下線部 6について-。
日本において、明治以降に発生した環境問題について述べた文章として適切でないものを、次のア~エの中から1つ選び、その記号で答えなさい。
ア 明治時代に近代化政策が進められて産業革命が起こった一方で、渡良瀬川流域では農作物に被害が出た。
イ 1940年代前半の京浜地域では、産業活動が活発になり人口も増加したため、東京湾において水質汚染が深刻化した。
ウ 高度経済成長は同時に大気汚染の問題を発生させ、その対策として公害対策基本法ができた。
エ 1970年代から80年代にかけて、国民一人ひとりの生活水準が向上したことで、自動車の排出ガス問題などが生じた。
問9 日本におけるウナギ食文化に関する説明として適切でないものを、本文を参考にして、次のア~エの中から1つ選び、その記号で答えなさい。
ア 古代において、ウナギは滋養強壮になる食べ物として考えられていた。
イ 中世において、農村ではウナギが盛んに消費されたが、都市ではウナギ信仰の広まりから食用とならなかった。
ウ 近世において、ウナギを提供する移動式の簡易な食べ物屋が増加し、外食産業が発達した。
エ 現在において、国産ウナギの価格はおおむね上昇傾向にある。
【解説と解答】
問l 死後の世界から戻ってきた先祖や死者を慰め、送り出すためです。
(答え)ウ
問2 夏の土用ですから、立秋の18日前ということになります。
(答え)ウ
問3 身分差が出た内容を選びます。
(答え)イ・ウ
問4 両替商の時期が違います。
(答え)ア
問5 室町幕府のしくみですからエ。
(答え)エ
問6 北前船でア。
(答え)ア
問7 ウの時期が違います。
(答え)ウ
問8 1940年台は太平洋戦争の時期が重なります。
(答え)イ
問9 文中宴会でふるまわれていたとあります。
(答え)イ
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