第104回 本気で狙わなければ、受験は百害あって一利なし。

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    中学では入れたい学校だけ、受けてダメなら公立でいい、という選択肢があります。
    その考えは悪いものではない。まだ将来ある子なのだから、6年間不満な学校に行くより、3年後にもう一度、ということは当然あるでしょう。
    ただ、それでも本人は本気で狙っている、本気で「入ろう」と思っていなければ、受験は本人にとって何の役にも立ちません。
    むしろ害が多い。
    「どうせ、無理だし」
    「あんな問題できないしなあ。」
    「それよりは、遊びたいよなあ」
    という気持ちで、努力なんかしてない、相変わらず親が言わないと勉強しない、ということであるならば、
    「とっとと受験はやめてしまう」
    のがいいでしょう。
    受験勉強というのは、試験に合格するためにやることなのです。その目的を最初から「無理だ」と本人が決めつけている、あるいは自信がないということならば、まともに努力することがばからしくなる。つまりごまかしだけができるようになるだけなので、受験勉強はまったく子どもにとって意味がない。親の目をあざむくことだけができるようになるだけです。
    受けたい学校だけを受ける、というのは当然、「合格することは可能だ」という前提があるからです。
    10%でも5%でも、可能性がある以上、僕は絶対に受ける、ということならば、それはそれでいいでしょう。もちろん、十分に可能性がある。逆転をした子は、たくさんいます。
    しかし、本人にその気持ちはなく、ただ親が手をひっぱっているだけなら、あとで「親がうらまれる」だけだから、やめてしまいなさい。
    最後の1ヶ月、本当に何とかしたい、という気持ちで勉強するかどうか、ここが受験勉強の意義と言っていい。
    それがあったなら、合格しようと、残念であろうと、中学受験は子どもにとってやってよかったということになる。
    そうでなければ、害が続くだけです。
    「一番いいのは、がんばって落ちること、次ががんばって合格すること。3番はがんばらなくて、落ちること。最悪はがんばらずに合格すること。」
    これは私が最初の本で書いたことですが、とにもかくにも、がんばったという経験をすることは、子どもの成長にとって大事なことだと私は思います。
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