果敢なる闘士たれ、そして潔き敗者たれ

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先日、ある学校の卒業式で、来賓の方がこのことばを卒業生に贈っておられました。この原典は小泉信三さんで、「練習は不可能を可能にする」など慶應義塾の塾長でありながらまたスポーツにおいて深い造詣のあった方です。

潔き敗者というのは、30%の力で勝ってもあまり意味はない。全力でぶつかってそれで負けてもその方がその人にとっては得るものが多いと話をされていましたが、潔き敗者ということばが耳に残りました。

中学受験というのは、当然合格をめざしてがんばるわけですが、実際の入試は落ちる子の方が多い。したがって昨今は多少安全に受験していこうという傾向が見られるようです。ただ、子供たちにとっては、最初に自分の力で突破しなければならないものですから、ここでの姿勢というのは、子供の今後に大きな影響を残します。

その意味で、志を高く持つということは重要なことのように思います。もちろん、安全校があっていいのですが、やはりこの学校を狙おうという意思が必要なのではないでしょうか。

「落ちたら」かわいそうというのではなく、負けて得るものも大きいと考えるのも必要なことだと思います。

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